
マインド
2025.05.29
【日本社会の盲点】視点の違いを恐れてると失う未来|『オッペンハイマー』論争が教える大切なこと
S&K Holdings
アートや表現に対して「なぜあれを描かないのか」「これが足りない」とすぐに声を上げたくなる日本社会。しかし、それって本当に正しい姿勢なのでしょうか?
映画『オッペンハイマー』への反応を通して見えるのは、私たちが「多様な視点」にまだ慣れていないという現実です。
表現は誰かの体験や価値観をもとに紡がれるもの。自分と違うからといって、それを排除したり否定するのではなく、「そういう視点もあるんだ」と受け止めることこそが、成熟した社会の第一歩です。
この記事はVoicyの「No. 311 オッペンハイマーの反応から見る日本」を基に執筆しています。
オッペンハイマー論争で露呈!日本が「問い」を受け止められない理由

クリストファー・ノーラン監督が指揮を取った映画『オッペンハイマー』は、原爆開発を主導した科学者の葛藤を描いた作品です。歴史的にセンシティブな題材だけに、日本では公開前から議論を呼んでいました。
批判の声も少なくなく、「原爆の悲惨さが描かれていない」という声もちらほら。
しかし、この映画は、戦争そのものを描いたドキュメンタリーではなく、一人の科学者の内面を描くアート作品です。主眼が違うのは当然のこと。にもかかわらず「こうあるべき」という声が強まる日本の空気は表現の自由を萎縮させてしまいます。
これは、モナリザに向かって「全身が描かれていないのはおかしい」と言っているようなもの。
何をどう描くかは、アーティストの視点次第です。私たちは、その「視点の違い」を楽しみ、学ぶ余白を持つべきではないでしょうか。
【ビジネス必見】見せかけのダイバーシティが会社を弱くする本当の理由

「多様性を大切にしよう」
このような言葉がよく聞かれるようになった日本。ビジネスの世界では、女性の管理職登用や、取締役にどれだけ女性を入れるかといった数値的な話題が中心です。
しかし、本当の意味でのダイバーシティとは、「属性」ではなく「価値観の違い」にこそ意味があります。会議室に女性がひとりいても、その人がまわりと同じ考え方をしたり、同調するだけなら、それは形だけの多様性です。
年齢や性別が違っていても、結局は似たような経験や価値観で集まっているなら、それは“見せかけ”のバリエーションでしかありません。
大切なのは、「違う考えを持つ人と、建設的な議論ができるかどうか」です。違う意見を持つことが自然であり、むしろ歓迎される空気をどうつくるかが、企業にも社会にも問われているのです。
思想統制の始まりか。違う意見を許さない空気が日本から奪うもの

本作に対する日本人の反応のなかには、以下のような極端な声もありました。
- 「原爆を正当化するのか」
- 「なぜ日本側の視点がないのか」
もちろん、その疑問自体は悪くありません。しかし、違う視点の表現を「間違いだ」と断じてしまうと、議論の芽が消えてしまいます。
これはまさに、かつてのナチスドイツや思想統制下の時代に近づいていく危うさでもあります。視点の違いを認めず、同じ考えの人しか許容しない社会は、イノベーションも、民主主義も育ちません。
アートや映画などの表現に対して、「なぜその視点を選んだのか?」と問うこと。そしてそれを否定ではなく、学びや対話のきっかけにすることが、今の日本に求められているのではないでしょうか。
まとめ:同調圧力を打破せよ!対話力が企業と社会を強くする

映画『オッペンハイマー』への反応を通じて見えたのは、日本社会に根強く残る「同調圧力」と「空気を読む文化」でした。
しかし、これからの時代に必要なのは違う意見と向き合い、対話を重ねる力です。
ダイバーシティとは、属性を取り揃えることではなく、違いを受け入れること。
そして違和感に向き合いながら、お互いの価値観を少しずつすり合わせていく力。それが、企業を強くし、社会をしなやかにしていく土台になります。
目をそらすのではなく、正面から違いを受け止められるか。あなた自身の感度が、これからの時代を生き抜く力になるはずです。
今日のワンポイント英語スラング:Make out
今日のスラングは「Make out」。意味は「イチャイチャする」こと。キスよりも少し踏み込んだ表現ですが、性的なニュアンスまでは含まない、若者によく使われる言い回しです。
例文:That park is where high school kids make out all the time.(あの公園って高校生がイチャイチャしてるところだよ)
日常会話や映画でもよく登場するので、ニュアンスを覚えておくと便利です。